日記・コラム・つぶやき

誕生日なんです。

若い頃と私はちっとも変わってないの
見える景色も晴れやかで、青い空、海もきれい
なのに、鏡を見ると、誰?と思う

年をとるとはそういうことなのね。
随分生きてきたものね。

体のあちらこちらもいたんできました。
不具合に手当てしながら、毎日をやり過ごして

中身と外身は違うんだと自分に言い聞かせています。

さあ、これからだと、明日に向かいます。

今日で63才になりました。

(生まれた日は祭りの日だったそうです。)

息子一家が帰りました。

9月3日から我が家に滞在していた息子一家が今日10月8日、帰りました。
9月11日に二人目の孫が誕生して、めまぐるしい毎日でした。
滞在中に3才になったお兄ちゃんの常設となった機関車トーマスの
長ーいレールをまたぎながらの日々でした。

不覚にも私が帯状疱疹になり、3才と入浴できなくなったりで
てんやわんやの36日間。
完全夜型のバアバアはすっかり早寝早起きになったのか?
寝転んでテレビばかりだったジイジイは公園デビュー?
なんとなく、体力がアップしたと感じるのは錯覚なのか?

楽しい日々でありました。
来週からは、そっちへいくからねーーー!!

勇気を出して声をかけました。

夕方、犬の散歩に行きました。
道にでたら、近所のSさんもちょうど犬のお散歩に、連れ立ってでかけました。
20分ぐらい歩いた所で、道の傍らに座ったおじいさん、Sさんが「こんにちは」と声をかけ、私も「こんにちは」そしてちょっと通り過ぎました。

Sさんが「ちょっと変よ戻りましょう」私ももしかしたらと思っていたので戻りました。
『なんて声をかけようか?疲れてちょっと座っているだけかも?』
一瞬、いろいろ考えました。

「お疲れですか?」「もうじき暗くなりますよ」「お近くに行かれるの?」「ご一緒しましょうか?」などなど、Sさんと二人で話しかけていたら、犬の散歩の男の方が「さっきからずーと、此処に座っているんですよ。」
どうやら、おじいさんは、自分の家が分からないようでした。
歩きすぎたのかもう歩けなくなっていました。
その付近のお宅に聞いても分からず。
私は携帯で110番しました。

交番からお巡りさん、いろいろ聞いてもやはり分からず。
お巡りさんは単車なので、付近のお宅の方がおじいさんを交番まで、車で送ってくれました。
おじいさんはその後、家が判明して、送ってもらって帰ったそうです。

お年は80才ぐらい、やさしくて素敵なおじいさんでした。
声をかけて、怒鳴られたら嫌だなあと、一瞬おもったけれど、やさしいおじいさんでよかったです。
「NHKのご近所の底力」でやっていた。こんなときの声のかけ方を、思い出していました。

1人だったら、声をかけることができたかしら?
これからも、もしこんなことがあったら、がんばってみます。

息子夫婦が親になりました。

9月24日に初孫、男の子が生まれました。

息子夫婦は隣の市に住んでいますが、赤ちゃんは今日からお嫁さんの実家に行きました。

最近は産院を退院するのが早いですね。

息子を出産した30年ぐらい前は1週間ぐらいは入院していたと思います。

産院が少ないという訳ではなくて、そんな傾向なのでしょうか?

母子ともに元気です。なにはともあれ、無事出産でよかったです( ^ω^ )

おかげさまで、おばあさんになりました。

自覚はまだまだですが、これからじわーーと味わっていきます。

餃子事件

何処にいくのか日本? 

利益を追求して、生産は賃金の安い外国に、原料や食材も安い海外のものを、
最初は収益は上がるでしょうしかし、若者の仕事はなく、終身雇用もままならず、
購買力が上がるわけもない。
ある時を境に、不況、経済破綻は目に見えている。
自国で農業や産業を育てなくて、国が成り立つわけもなく
(誰かさんたちだけ、目先?三寸でもうけてさ!)

少々?高くても地元、自国のものを購入していかなくてはとか
野菜もつくるか?せめて農家に草取りの手伝いにでもとか、
安全な食品が食べたいです。(生協は安全と信じていたのに)

この際言っちゃおう!「オリンピックやるなんて、無理なんじゃあ!」

大人になるということ

はじめて子どもを産んだ時
生まれた子どもを見て、強さ「存在の確かさ」を感じた。
ままの姿ですべてをさらした強さだった。

私はその時、自分が弱いと思った。
いままで、この身に何を纏ってきたのかと、猜疑心、嫉妬心、プライド
成長と共にいろんな衣を纏ってきた。
それが知らず知らず、用心深く臆病な私を作り上げてしまったんじゃないか?

いろんな経験をして、弱くなるのはちょっと違うんじゃないかなとおもいました。

人を受け入れるにはお互いに、ある程度の容量(capacity)が必要です。
いろんな、感情や思考はそれをひろげます。
特に淋しさは誰の心にも終生宿っているのかもしれません。
それもまたキャパを広げ、大きく優しく自分もそしてあらゆるものを
包み込むと信じています。

神様って

良いと思うことも、それが良いと口にして賛同するものが集まると
其処にエネルギーが発生します。
それは目には見えないけれど、大きく育ちやがて口にした人には制御できなくなります。
やがて良いとされた事柄は、それ以外を否定しはじめ、
最初の良いと信じられていたものは、心無い人に利用され、思ってもみない方向へと進み、巨大化していきます。

宗教は、文化や芸術もつくってきましたが、政治や戦争にも利用されてきました。
私は、宗教というか、真理(こういうのが相応しいかどうかわかりませんが)は
自分の内に問いかけ、追求していくのが本当のあり方なのではと、思います。
そして、その人の生き方がそれを現すのではないでしょうか

地球の一部である人間はどんな姿でも、分子(よく分からないが最小単位となっても)地球の一部でしかなく
ほんの一瞬、きらめくのが、その一生なのではないかしら
戦争なんかしてる暇なんかないし、無限とも思える生命のきらめきが
続くようにこの地球を大切にしたいと思います。

「神」と表現されているのは、人間には計りしれない、そんな宇宙の営みなのじゃあないかしら
分かりやすく導くために「神」とされたんじゃあないかしら
もともとどれも(いろんな宗教から怒られるかな)同じなんじゃないかと
思います。

無言のうちに、その身体から愛をほとばらせながら、微笑んでいるという姿は、どこかでみた事があるような?

どこかで誰かが私を呼んでいるような気がします。

星を見ながら

星を見ながら愛犬と散歩するのが好きです。

寒いので、着込んで、スキーに出かけるような格好です。

肩から斜めに大きな懐中電灯をさげて、さわりの部分しか知らない歌をうたいながら歩きます。

暗いし、人通りも殆どないしワンコとおしゃべり?もします。

「綺麗だねえ」と眺める星も実はオリオンぐらしか分かりません。綺麗は綺麗なんだよね。

月と星が見える夜は、寒くても、気分は上々、雨だって雪だってうちのワンコは「散歩にいくっぜ」と言い?ますもので

ある日、新聞の集金にこられた方に「どちらにお住まいですか?」と尋ねました。

その方は私と同年配かちょっとお若いかなと言う感じの奥さんなのですが

「あそこの道の突き当たりの家なんですよ」と、なんと近くの奥様、

そして、その方が「夜、お散歩されてますね。ワンちゃんでOOさんて分かりました。」

思わず私「変な歌、歌ってませんでした?」と聞いちゃいました。

ワンコと散歩のお気楽な時間も油断は禁物?

人生の主役

日々、充実感とか満足感とかを求めて、いきたいと思いますが、ままならない事が殆どです。

主役が自分の我が人生ですが、『まあいいかあ』と最近はなんだかゆとりとも思える心境に。

これは、悟りか?諦めか?

2015年12月
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